1999-02-10 第145回国会 衆議院 法務委員会 第2号
ルモノデゴザイマス、斯クシテ日本国ハ永久ノ平和ヲ念願シテ、其ノ将来ノ安全ト生存ヲ挙ゲテ平和ヲ愛スル世界諸国民ノ公正ト信義ニ委ネントスルモノデアリマス、此ノ高キ理想ヲ以テ、平和愛好国ノ先頭ニ立チ、正義ノ大道ヲ踏ミ進ンデ行カウト云フ固キ決意ヲ此ノ国ノ根本法ニ明示セントスルモノデアリマス こういう本会議、総理の答弁もありますし、これは、一九四六年、昭和二十一年七月四日の衆議院憲法改正案委員会の質疑で、協同民主党、林平馬委員
ルモノデゴザイマス、斯クシテ日本国ハ永久ノ平和ヲ念願シテ、其ノ将来ノ安全ト生存ヲ挙ゲテ平和ヲ愛スル世界諸国民ノ公正ト信義ニ委ネントスルモノデアリマス、此ノ高キ理想ヲ以テ、平和愛好国ノ先頭ニ立チ、正義ノ大道ヲ踏ミ進ンデ行カウト云フ固キ決意ヲ此ノ国ノ根本法ニ明示セントスルモノデアリマス こういう本会議、総理の答弁もありますし、これは、一九四六年、昭和二十一年七月四日の衆議院憲法改正案委員会の質疑で、協同民主党、林平馬委員
たとえば二十一年の七月の八日に、林平馬議員に対して吉田総理が御答弁になったところでは、自衛権による交戦権、侵略をする交戦権、この二つを分けることは、多くの場合において戦争を誘発するものであるがゆえに、分けることは有害だ、つまり交戦権は分けられぬ、こういうことを言っておられます。また佐藤長官も、表裏一体という意見を述べられております。
丁度そのときには吉田総理大臣は英国大使であり、私と林平馬君は総理大臣に招かれた。そうして総理大臣の官邸で非常な御親切な待遇を受けたことを今に忘れませんが、そのいわゆる吉田総理が英国大使であつたとき、ハツキンガム宮殿の隣のハイド・パークで、五、六百人の人が集まつているところに、共産党の人が頻りに共産主義を宣伝して、そうして破壊活動を教唆しておる。そこに巡査が四、五人おつて、にこにこ笑つて聞いておる。
それから綿貫、石井、鈴木、森戸、林平馬、こういう人たちが辞任されたから圓谷君そのほか五人が補充された。それから松田君が辞任いたしましたので、私が委員長に就任したのが七月の八日であります。七月九日分委員会において石井繁丸君が理事に就任されました。
曾て林平馬君の追放問題のときも鈴木總裁は非常に嚴正な處置を取られましたが、非常に政府方面からかれこれの批評を受けたが法務總裁の處置が正しかつたということは世人が認めておる。そういうようなことで、この場合において法務總裁が人間鈴木ということを離れられて處置をなされなければ、これは解決せん問題である。どうかその點について毅然たる態度を取つて頂きたい、かように考える。
○國務大臣(林平馬君) 小林議員の御質問に対しまして御答弁申上げたいと思います。それより先に一言申上げたいことは、何も鈴木司法大臣と爭う意味ではありませんけれども、今申された中に誤まりのある点だけを先ず先に申上げて置きたいと思います。私の資格審査に掛つておるのは「世界の推進力日本」というのと、「世界の黎明」という薄いパンフレツトであります。
〔國務大臣林平馬君登壇、拍手〕
しかして、林國務大臣の進退について片山総理大臣は、西尾、芦田、鈴木各大臣と協議の上、林國務大臣が追放令に該当すべしとの前提のもとに、去る一日林平馬氏の辞任を追つたと聞知しておるのであります。就任以來五箇月有余を経て、あらためて閣僚の資格問題が問題として発生すること自体が、むしろ公職適否審査の責任者たる片山総理大臣の責任でなければならぬと申し上げたいのであります。
理事 武田 キヨ君 理事 有田 二郎君 理事 大瀧亀代司君 太田 典禮君 角田藤三郎君 中原 健次君 福田 昌子君 松谷天光光君 園田 直君 中嶋 勝一君 小笠原八十美君 小暮藤三郎君 近藤 鶴代君 榊原 亨君 河野 金昇君 野本 品吉君 寺崎 覺君 七月七日委員林平馬君及
同七月七日委員鈴木義男君、森戸辰男君、林平馬君及び三木武夫君いずれも辞任につき、その補闕として七月八日松尾トシ君、山口靜江君、井上知治君及び豊澤豊雄君が議長の指名で委員に選任された。 七月八日松田正一君委員長辭任につき、その補闕として同日中村嘉壽君が議長の指名で委員長に選任された。